2018-02-23 第196回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号
続いて、ごめんなさい、地元ネタで申しわけございませんが、私の選挙区には、日本で一番の産地であります、毛布ですね、泉大津市というところがございまして、そこに、木綿の集散地であって、江戸時代には真田ひもを始めとした繊維産業が興ると、これを地盤に、明治以降、毛布の製造が始まりました。現在も国内毛布においては九割のシェアを占め、毛布の町として発展してまいりました。
続いて、ごめんなさい、地元ネタで申しわけございませんが、私の選挙区には、日本で一番の産地であります、毛布ですね、泉大津市というところがございまして、そこに、木綿の集散地であって、江戸時代には真田ひもを始めとした繊維産業が興ると、これを地盤に、明治以降、毛布の製造が始まりました。現在も国内毛布においては九割のシェアを占め、毛布の町として発展してまいりました。
どうしてかというと、オリンピア半島というのは材木の集散地なんです。材木の港でアルバイトをしていたと。船が入ってくると、変な船がいっぱいいるので、ぶつけられるといけないから逃げるんだそうです。しかし、日本船が、日の丸を掲げてきた船が来るときだけは安心して材木をあっちへ移したりこっちへ移したりしていられたと。日本の船はきちんとルールを守って、きちんと真ん中しか通っていかない。
また、その加工、流通の集散地としても有名でありまして、宇治茶ブランドも定着しております。そういう意味では、八百年以上本当に誇りを持ってこういうお茶どころを守ってきたわけであります。日本せん茶の創始者である永谷宗円も現在の京都南部、宇治田原町の在住であったわけでありまして、せん茶、玉露は京都南部で生まれたわけであります。
それは、物資の集散地、いわゆる蔵屋敷でございましたから、大きな庭をつくると町人はお取りつぶしに遭って、淀屋辰五郎なんて淀屋橋しか残っていないというような形になってしまいましたから。 私は、木を植えて公園をつくる場所と、木をうまく植えかえて公園をつくる場所とがあっていいんじゃないか。
そこで、第三は、一月十一日から十四日まで南米ペルーのリマでアジア・太平洋議員フォーラムがあって、私は民主党を代表して行ったのですが、その帰りにニューオーリンズ、ミシシッピ川の河口、ここには穀物の集散地、例えば全農のグレイン・エレベーターというのをやっていますが、一千万トンの穀物といってもえさが中心ですが、それを全部そこで処理をして、日本やほかの国に一千万トン処理している、日本の米と同量ぐらいをそこで
司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」という小説を読みますと、あの江戸時代においては、上方でいろいろなものを仕入れて江戸へ運んだ、そうすると、江戸は行政の中心ではあったが、経済の中心はいわゆる大阪つまり堺、京あるいは兵庫等であって、物資の集散地はむしろ上方、大阪、京、兵庫であったということがはっきり出ておるわけでありまして、したがって、明治維新後のまさに一極集中であるということがわかるわけであります。
しかも消費地が複数のものを持っているというような場合には集散地としての機能、これは保管倉庫、保管的な施設ではなくて、荷さばきあるいは輸送のための基地という意味での施設でございます。そういう点については今後道路、そういうようなものと関連を見ますれば農村地域に進出というような余地は十分に残っていると考えている次第でございます。
それはなぜかというと、シカゴというのはアメリカ中部の農産物の最大の集散地でございましたから、あそこでは商品取引が非常なウエートを持っておった。ところが、さすがのアメリカも農産物だけで商品取引がうまくいくわけもないので、そこで取引所の皆さんは頭を働かせて、金融や証券やいろんな先物をあそこで開発された。
これまでワニ皮の違法な集散地となっていたボリビアやパラグアイが輸出を禁止いたしまして、エルサルバドルとグアテマラが供給地となっているわけであります。 ちなみにエルサルバドルに関連をして申しますと、これは通関実績でございますから正確な数字でございますが、一九八六年の四月、ことしの四月、同国から一万六千七百二十九キログラムが日本に輸入されております。
に積み合わせの許可をするということになっておりまして、今申し上げましたある程度の集散地、そういうところを中心にした積み合わせ輸送というものが広く認められている中で、並行してさらに一般路線貨物自動車運送事業者が十分なサービスを提供できないというようなことを前提に、積み合わせの許可というものが運用されてきておるところでございます。
それはやはり流通機構が複雑であって、メーカーのところから産地の問屋へ行って、産地の問屋から集散地の問屋へ行って、集散地の問屋から小売へ行く。ところが、その間にまた幾つもの段階がありまして、本当に複雑な流通機構になっている。
そういう意味におきましては、今回関西地域が輸入輸出の世界の物資のいわゆる集散地になってくる、こういうような特殊性が表にぼうっと出てくる、関西全体に、近畿地区全体に出てくるであろう、こういうふうに思われるわけでございますが、そういった立場から近畿地域の経済というものがどういうふうな変貌を遂げていくだろうか、またどういう方向に持っていくべきであろうか、こういうことも一つの課題になるのではないかというふうに
独禁法の分野で申しますと、繊維工業界と取引をする外側の業界、例えば問屋さんと機屋さんの関係、それから機屋さんと染め屋さんの関係、また大手のスーパーなり百貨店の関係、そういったところで不公正な取引が行われることがないように十分配慮する必要があると存じますので、集散地問屋の卸の方々を下請法の定期調査に含めるとか、百貨店やチェーンストア協会または個々の百貨店、チェーンストアに対して、納入取引の適正化についての
取り扱い量の減少、さらには価格の低落、両方合わせますと前年に比べて売り上げ額で四割も減少している、半減しているというような状態もありまして、東京でも特に大きな集散地であります木場、これは新木場をつくって、一つの、日本の中でも一番大きな木材集散地になっているわけですけれども、大変苦境に立っております。
そして産元は商社、集散地の問屋に持っていく、現地では、これは商社型と言いまして理想的である。これは、なぜかと言いますと、自主性があり、売れる物を自分で考える、こういう研究という面で非常に理想的である。その次に多い種類は、産元が紡績や商社から製品を発注してもらい、産元が糸商から原糸を購入しまして、そしてそれを機屋に賃加工、技術指導する。
カンザス・シティに公館を設置いたしました大きな理由は、一つには、あの地域、先生御指摘のとおり、穀物の重要な集散地であるという従来からの性格に加えまして、最近は、航空産業でありますとか自動車産業でありますとか、そういった近代工業が次第に興っておりまして、重要な工業上の地点ともなってきておるわけでございます。
そういうわけでなくて、あの地帯においてやはり穀物や農産物の集散地であるだけでなく、教育機関も整備している文化都市ともなっておるからでしょうか、一番あそこへ総領事館を置く重要な問題点はどういうところにありますか。
これは市場メカニズムを通じて、いわゆる自由な商売をやれと、そして、価格が適正にその中で形成されてくることが必要だと、こう書いてあって、最後の方を見れば、物流拠点の整備から低温流通体系の推進やチェーン化の促進、輸送の共同化ということを通じて生産地、集散地と消費地との関係は大型の冷蔵庫とか、低温の倉庫とか、そういうものをつくって、そしてそこへしまい込んでおけということに実はなっているわけですよ。
○田島参考人 一つは、やはり多段階構造というのが一段階の構造よりおくれておって、これは直さなくちゃいかぬという面は一般論として先ほど主張したとおりでございますが、ただ、日本の場合には、生産段階が非常に零細で、小売段階も非常に零細で、これをつないでやりますときに、どうしても産地で品物を集め、集散地卸へ持っていき、集散地卸からまた消費地卸へ持っていって、消費地卸が荷物を小口分散するというふうな仕組みが絶対必要
しかしながら、商品取引所は当然のことながら、その物資についての生産なり消費なり、そういうことについて集散地であるという実態がかなりの程度ないと、なかなか先生がいまお話がありましたような方向に地盤を築いていくことはむずかしいという側面があるわけでございます。